女子大が、心が女性のトランスジェンダーを受け入れる——
そんなニュースを目にして、率直に感じたのは、とてつもない違和感。
対象の学校に、私の通っていた附属の女子中学・女子高が入っていたからからこそ、言いたい。
そもそも、「心に性別がある」って、どういうことなんでしょう。
たしかに、「女性的」「男性的」みたいな傾向はあると思います。
感性とか、思考のクセとか、好きなものとか、話し方とか。
でもそれが、「心は女性」「心は男性」なんて、はっきり分類できるほどのものだとはどうしても思えない。
私は身体的には女性だけど、自分の心が女性なのかなんて、正直わかりません。
「男だけど心は女」って言われても、じゃあその「心の性」ってどうやって証明できるの?って思ってしまう。
自分の「運命」に覚悟を持って向き合うと、楽に生きられる。
一方で、それに身を任せられないと、つらい人生になる。
別に、身体が男で、嗜好が女性的でも、自由にいきればいいじゃない。
そもそも、「性別の差をなくしていこう」っていう流れなんじゃなかったの?
逆にそういう人たちの方が、性別に対してすごく強くこだわっているように見えてしまう。
「私は女性だから女子大に入れて」って主張するのって、むしろ性別への執着そのもの。
そして何より、「心が女性」という曖昧な基準に合わせて、女子大という場を変えなきゃいけないのが、納得できない。
少なくとも、私はそれが「多様性」だとは思えません。
生物的女子だけが通う学校もある、それが多様性でいいじゃない。
大多数が違和感を持っているのに、声の大きい少数に合わせなければいけない。
それは結局、また別の形の「抑圧」なんじゃないかと感じます。
ブログ村ハッシュタグ
#お出かけ
![]()
![]()
![]()
↑ 応援クリック、いつもありがとうございます♪
www.cozy-nest.net
www.cozy-nest.net
www.cozy-nest.net
www.cozy-nest.net