いつも楽しんでいる裏山の散策中に立ち寄る、ちょっと有名なお寺があります。

ここで休憩がてらお茶を買ったり、お手洗いを借りたりするのですが、そのトイレの状況には正直驚かされます。
参拝者の約9割が外国人で、そのためかトイレの使い方がかなり乱れているのです。

ゴミ箱に捨てられるはずのトイレットペーパーがあふれて床に散乱していることもよくあります。
なぜこうなるのか考えると、文化や風習の違いだけでなく、日本と多くの倫理観が大きく関わっていると感じます。
日本の制度は基本的に「性善説」を前提に成り立っています。
人は基本的に善意で行動すると考え、ルールもそれを前提に設計されています。
一方で、多くの外国では「性悪説」が前提になっていて、人は悪意を持っている、あるいはルールを守らない可能性があると想定しています。
だからこそ、制度やルールは厳格に管理・監視されることが多いのです。
この違いが、トイレの使い方にも表れています。
悪気がない、というのは日本の性善説の考え方から来ているのですが、性悪説の国ではそれが「隙」とも見なされてしまいます。
つまり、悪意はなくてもルールを守らないことを想定し、それに対処する仕組みや教育が必要ということです。
以前、台湾を訪れた際にはトイレットペーパーをトイレに流さずゴミ箱に捨てる習慣があると知り、私もつい流しそうになった経験があります。

基本的なトイレの使い方すら違う。
こうした文化や制度の違いを理解しないまま、教育も整わずに外国人観光客や移民を受け入れてしまうと、今回のような惨状が生まれてしまうのです。
もちろん、日本のインフラもまだまだ十分とは言えません。
改善すべき点は多いでしょう。
たとえば、トイレットペーパーを流さない文化の人を受け入れるには、目立つような注意書きだけでなく、大きなゴミ箱、そのゴミを回収する人的コストも必要かもしれません。
しかし、それ以上に重要なのは、ルールやマナーを守れない人を無制限に受け入れることは避けるべきだということです。
どんなに整備を進めても、ルール無視の行動が続く限り、地域の暮らしや文化は守れません。
日本の独特な文化は、多くの海外からの人にとって魅力的ですが、その文化やルールを尊重し守る姿勢がなければ、共存は難しくなります。
私たちの生活を守りつつ、多様な人々が気持ちよく暮らせる社会を作るためには、しっかりとしたインフラ整備と同時に、ルールを守ることの重要性を伝え、守れない人には適切な対応をしていくことが欠かせません。
そして何より、私たち日本人は「多文化共生」「グローバル化」という言葉に流されすぎず、偽善に踊らされることなく、自分たちの暮らしを守るためにどうすべきか、冷静に考える必要があります。
ただ受け入れるだけではなく、互いのルールや文化を理解し、尊重し合うための線引き。
これからの時代を生き抜くために、私たち一人ひとりが現実を見据え、真剣に向き合うことが求められています。
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