金曜日のプーチン宣戦布告から一夜明けた土曜日。
戦場から遠く離れたここ日本では、変わらない日常。土曜日は遅刻しそうになりながら、次男はいつものように登校しました。
帰宅した次男と何気なく会話していたら、学校で友達と交わした会話の内容を聞いて、驚きました。
学校の休み時間、クラスの男子10人ほどと会話をしている時、先週から始まったロシアの暴挙に対して、話題になり、その流れで「もし日本が巻き込まれたら」という話に。
すると、そこにいる男子皆が
「武器をもって戦う」
と言ったそうなのです。
次男は高校生、文系の進学クラス。
社会を学びたく文系を選んでいる子もいれば、数学が苦手と消極的に文系を選んでいる子もいるでしょう。でも、どの子も世界史、日本史を学んでいる。
とはいえ、今時の高校生。
競争は良くない、戦争は悪、学校では宗教じみた平等主義を繰り返し学んできている。
そんなふつうの高校生男子が
「武器をもって戦う」
と発想する。
それは、どんな思考?
ゲームやアニメの世界じゃないよ、わかってる?
でも、違っていました。
もし、攻撃されるようなことがあったら。
ふつうの高校生男子は、家族を、愛する人を、日本を、日常を守るために、戦いたいと思っている。
彼らは、何に守られているのか、守るべきは何なのか、ちゃんとわかっている。
彼らは、今ウクライナで起きていることを、まだテレビに出ているどっかの局の能天気なコメンテーターやポジショントークしかしない活動家や政治家より、もっとリアルに、感じ取っている。
「戦争はだめ」
そんな浮ついた言葉、必死で家族を守ろうと命を懸けて戦っているウクライナの人の前で、言えるはずがありません。
一方で、悪魔の権威主義者プーチンに言っても無意味です。
きれいごとではなく、身を挺して守るべきものを守る、と言う息子や、その友達。
もし、家に入ってきた強盗が子どもたちに危害を加えようとしたたら、私は包丁かモップをもって必死に抵抗するでしょう。
でも、子どもは成長し、私を軽く追い越し、いつのまにか私が守られるほうになっていた。
複雑な想いだけど、でも成長を感じた、そしてとても意外な、力強い息子の言葉でした。
いやいや、まだ守られるだけの側じゃいけない。
この子たちに、武器を取らせるようなことになってはいけない。
でも、このままなら、近いうちにそれが起こりえるかもしれない。
欧州、アメリカ、そして日本の様子を、別のお隣の国は注意深く観察しています。
政府にはもっと毅然とした対応を望みます。
そんな中でも、日常は淡々と続きます。
今日の息子飯。
卵焼き、ハンバーグ、ブロッコリー、かぼちゃ甘煮、茎わかめ煮、ミニトマト。
きょうも頑張ってね。