cozy-nest 小さく整う暮らし

男子3人を持つワーママ、尾崎友吏子がつづる、暮らしをダウンサイジングして、すっきり簡単に片付く、自然に優しいシンプルな生活。

やましたひでこさんが考える「断捨離」と「ミニマリスト」の違い。


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雑誌「サンキュ! 2018年 03 月号」の付録は、断捨離を世に広めたやましたひでこさん監修の「今さら聞けない「断捨離」入門」。

断捨離の基本的な考えが、ステキな実例とわかりやすい漫画で紹介されています。

「断捨離した人=ミニマリストではありません」



この付録冊子の中で、やましたひでこさんが考える、ミニマリストと断捨離した人の違いというコラムがありました。

「断捨離した人=ミニマリストではありません」と書かれています。

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ミニマリスト=最低限思考

ミニマリストは、持ち物を必要最低限まで減らすことを第一に考える人。


断捨離した人=最適思考

断捨離した人は、その時々で最適なモノと量を見極めようと考える人。


また、「断捨離入門」には、このようにも書かれています。

断捨離は、欲しいモノや新たな出会いも大事にします。
お気に入りのモノが最適量で存在する住まいは心地よく、心も潤う空間です。


確かに、ここに書かれている通りだと納得です。

では、ミニマリストは、「欲しいモノや新たな出会いを大事にしない」のか?
ミニマリストの持つ空間は、心が潤わないのか?

と言われれば、そんなことはありません、と言いたいです。




ミニマリストは、「持ち物を必要最低限まで減らすことを第一に考える人」?

やましたさんは、この小冊子の中で、ミニマリストは、「持ち物を必要最低限まで減らすことを第一に考える人」と書かれています。


自分をミニマリストと考える私にとっては、適量が人と比べて少ないというだけであり、最低限が私にとっての適量でもあります。

では最低限が無味乾燥な人生で殺風景な空間かといえば、全くそんんなことはありません。

なぜなら、心が潤う量というのも、人それぞれだからです。私は、箱一つだけのストイックな空間に憧れますが、必要なものは持つようにしているし、ものの素材感や、ものの持つストーリーも大切だと思います。

もし、やましたさんがミニマリストと言われる人の部屋を「殺風景」と思ったなら、それは彼女とそのミニマリストの「最適量」が違ったという、それだけなのだと思います。

また、人生にとって遊びや冒険、自由も当然必要と考えますので、私にとっての最低限のモノはかなり多くなります。
「最低限」なら、結婚もするべきじゃないし、子どもも持つ必要もありません。一人の方が自由な時間も増えるし、お金もかかりませんよね。

私は家族と一緒に住んでいるので、もちろん家族のものもあります。家族は私にとって必要であり、家族が所有する空間やモノも私にとっては必要なものです。私は、家族や家族との暮らしも大切なものであり、その家族が大切にしているものも大切にしたいと思います。だから、やましたさんの家より(もしやましたさんが5人家族以下なら)5人家族の我が家のほうがモノが圧倒的に多いと思います。


拙書ミニマリストの持ちもの帖では、もちもの全てを数えてリストアップしています。



やましたひでこさんは、「ミニマリストは、持ち物を必要最低限まで減らすことを第一に考える人」と定義していますが、私は「減らすことを第一に考える人」がミニマリストとは思いません。減らすことは目的ではなく、あくまでその先にあるものへ到達するための手段に過ぎないと思うからです。むしろ、「断捨離」そのものは、減らすことを目的とする行為ではないでしょうか。

私が、やましたひでこさん流の解釈をするならば、ミニマリストは、「最低限が私にとっての最適量な人」ということでしょうか。


この二つの円に、「=」を入れてみました。
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ミニマリストになることも、断捨離をすることも、それは目的ではなく、その先にある「理想の暮らし」や、「自由な生き方」のためのツールです。そういう意味では、どちらの言葉を使っても構わないし、明確に定義を分ける必要もないんじゃないかと思います。




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家の中のものが全て「最適」にある心地よさ。


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不要なものを手放せば、心も暮らしもラクになります。