枯葉が舞う季節。
公園を歩いていると、大きなゴミ袋がいくつも並んでいて、その中にはぎっしりと枯葉が詰まっていました。

おそらく、市の職員さんたちが丁寧に掃除してくださったのでしょう。
きっとこの後、焼却処分されるんだろうな、と複雑な気持ちになりました。
「脱炭素」って、なんなんでしょうね。
大量に集められた落ち葉たち。
ただ燃やされるためだけに回収されて、燃やされることでCO₂を出してしまう。
自然のものを自然に還すわけではなく、人工的に一括で燃やして処理する。
誰もが「エコ」や「SDGs」なんて言葉を口にして、脱炭素に取り組んでいるつもりになっていました。
でも、ふと立ち止まって考えると、何が本当にエコなのか、なんのための脱炭素なのか、だんだんと見えなくなってきている気がします。
実際、世界では「脱炭素」の限界や副作用が指摘され始め、「脱・脱炭素」に舵を切る動きすら出てきています。
にもかかわらず、日本ではまだ「脱炭素」「カーボンニュートラル」「ゼロエミッション」なんて言葉が独り歩きしていて、まるで時代の流れを読めていないように感じてしまいます。
そもそも、地球温暖化の危険性や、二酸化炭素が増えると良くない、というのは眉唾だという論説もあるのに、そちらは無視。
でも、百歩譲って、二酸化炭素を減らす努力が必要というなら、「削減すること」そのものが目的化してはいないでしょうか。
本来の目的である「人と自然が持続可能に共存できる社会」を置き去りにしていないでしょうか。

たとえば、枯葉にしても、堆肥にして地元の農業に活かしたり、何か燃やすときの燃料になったりすることはできないのかな。
「ただ燃やして減らす」ではなく、「どう活かすか」を考えてもいいのでは?
目の前に積まれた、産廃としてビニール袋に詰まった枯葉の山を見ながら、そんなことをふと考えた、初冬の夕暮れでした。
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