私は、自分のもの、たとえば服やバッグ、靴、本などはなるべく少なく持つようにしていますが、夫や子どものものはそれほど制限はしていません。また、家族といえど、ひとのものを勝手に捨てたりはしません。
ただ、台所用品など、私がメインで使っているけど、家族もつかうものは、私のわがままで揃えているところもあります。なにか、新しいものが欲しい時などは、家族と相談してから買うようにしています。
ものが少ない中での子どもとの暮らし、「そぐわない」「子どもがかわいそう」「子どもとは無理」なんて声も聞かれます。
先日の記事にこんなコメントをいただきました。
ながらく炊飯器を持たずに鍋で炊飯している、はなさんからのコメントです。
幼稚園から帰宅後の娘さんに
「お母さん、機械でごはん炊けるって知ってた?◯◯ちゃんちは時間になったらご飯炊けるんやって。すごいね〜。見てみたい〜」
と言われたそう。
子どもって、「我が家が基準」なんです。だから、我が家にないものは他の家にもないものと思って当然ですね。我が家でも、ずっと炊飯器はなかったけど、祖父母の家には普通にあって、使っているのを見ていたので、子どもたちは炊飯器はお金持ちの家にあるもの、と思っていたみたいです(笑)
先の記事で小学校でアンケートをとったことを書きましたが、次男は他の家庭の炊飯器所有率が高かったのでびっくりしたようでした。
ほかにも、こんな弊害が。
なぞなぞで、こんなのがあったのですが、
三男は年長の時、答えられませんでした。こたえは、もちろん「新聞」です。新聞の存在は知っていたけど、家にはなかったので、出てこなかったようです。
「持たない」ことではないのですが、我が家では、ずっとお砂糖はきび砂糖か甜菜糖を愛用しています。
長男が小学校1年生の時、「白」という漢字を習った時に、「おさとうは白じゃなくてきんいろ」と言って、クラスで笑われた、と言っていたことがありました。マイペースな長男のことだからさらりとかわしたんだろうけど、気の弱い子なら、こういうことが続くといじめられたりしないかな。
そのようなことがいくつかあり、「一般家庭にはあるけれど、我が家では使っていない」ものを、きちんと説明したり、知らせておくことも必要。そして、それがなぜ、うちにはないのか、ということも、知らせておく必要があるな、と思います。
文化は、家庭や地域でさまざまで、他の家庭は、我が家とは違った文化がある、ということ同様、日本でも地域によって違う文化があり、他の国でも違った文化がある、ということも。
そして、違いがあるのは当然で、それぞれの文化は尊いということも。
幼い子どもって、「我が家が基準」だけど、大人でも、「我が家が基準」「わが地方が基準」「メディアが基準」ってありますね。
持ち物も行動も、皆と同じだとラクだったり、安心したりします。一方で、日本では、同調思考が強いので、それが息苦しくなることもあります。
同じである必要のないところは、手放していく。多様性の認められる時代だからこそ、基準というフィルターを外してみるという、一つの生き方の選択肢があることは、嬉しいです。