あの日から5年がたちました。
私は、全てを押し流した津波をテレビで見てから、変わりました。原発1号機の水素爆発の映像を見た時の恐怖を忘れることができません。
関西に住んでいてもそうだったのですから、東日本の人たちは、どれほどの恐怖を味わったのでしょう。
昨日のNHKの特集で、2号機が爆発していたら、首都圏を含める半径250kmが避難区域になっていた。でも、髪の毛一本ほどの幸運な偶然で、爆発を免れることができた、と現場の責任者が語っていました。日本壊滅の悪夢のシナリオが、ほんとうにわずかの偶然で回避できたというのです。
皆、あの時のことを忘れてしまったのでしょうか?
国は、原発の再稼働を決定しました。狂っているとしかおもえません。
コスト面や地球温暖化のことを考えたら、原発を使うことが最も良い解決策と言われています。
そして、人間が学習する生き物なら、福島の事故を教訓に、さらに安全な原発運営をするでしょう。
私は、恥ずかしながら、それほど原発について知っているわけではありません。無知なおばさんが感情的に「原発はきけんだから反対」と言っても、再稼働推進者からあっけなく論破されてしまうでしょう。
でも。
人間は間違える。施設はいずれ老朽化する。
最善をつくしても完璧はありえません。
美しい自然は想像に絶するほど、恐怖にもなる。捨てる場所のない核のゴミを未来の世代に押しつける。
「2号機が爆発するのは時間の問題」その局面で、どんなに巨額のお金を出してでも、爆発を止められるなら止めたいと、全ての人が思ったはず。
そして、発電コストより、これからの命のほうがずっとかけがえのないものだと私は考えます。
私が今まで読んだ中で最も衝撃的だった本のうちの1冊。
「何という悲しい時代を迎えたことでしょう。
今まで、自分の子どもに、家族に、ごく少量ずつでも、何年か何十年かのちには必ずその効果が現れてくるという毒を、毎日の三度、三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか。
そのような恐ろしく、愚かしいことを、今の世の母親はほとんど知らずに、知っていてもどうすることもできず、できるだけ毒の少ないものを選んで食べるよりしょうがなく、おいしく楽しかるべき家族のための食卓の用意がとても重苦しく、罪の意識にさいなまれます。
食べものというのは、この生命を維持、生長させるために摂ります。
それなのに、生命を枯渇させる毒入りの食べものを、家族のために料理せねばならないなんて。有害添加物入りプラス放射能入り食品を食べねばならない時代が来ようとは、誰が想像したでしょうか」
まだ、まにあうのなら増補新版 [ 甘蔗珠恵子 ] |
チェルノブイリ事故の翌年、福岡県の1人の主婦が書いた手記。著者甘蔗さんの予想は、2011年、現実のものとなります。
20年以上前、これを読んだ時には、私はまだ結婚もしていませんでした。でも、未来を想う1人のお母さんの気持ちが、激しく、優しく伝わってきました。
「私たち母親は、子どものすこやかな成長を何より、何より願います。
その生命を脅かすものを赦すことができません。
原発は必要だというどのような理屈をもってこられても、この生物的恐怖感の方が正しいと信じています」
もし、まだ読んだことがなかったら、是非一読をお勧めしたい本です。
東日本大震災で亡くなられた方々、いまも苦しい生活を強いられている方々、そして未来の日本へ、祈りを捧げます。