cozy-nest 小さく整う暮らし

男子3人を持つワーママ、尾崎友吏子がつづる、暮らしをダウンサイジングして、すっきり簡単に片付く、自然に優しいシンプルな生活。

【災害対策】感謝と畏れを忘れずに


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先日の金曜ロードショーで映画「Fukushima 50」が放映されていました。

コロナの影響でロードショーを見るのは諦めていましたが、Amazon Primeで有料配信されているときに先に見ていました。今回、子どもたちとも一緒に録画した「Fukushima 50」を再度観ました。


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2011年の東日本大震災当時、私は大阪に住んでいました。関東のように、余震を感じたり、停電になったりはしませんでしたが、津波と原発のゆくえが気になり、固唾をのんでテレビにかじりついてその様子を見ていたのが、昨日のことのように思い出されます。

映画「Fukushima 50」は、その裏で、原子炉メルトダウンの危機から命がけで守っていた現場の人々を壮絶に描いています。

オープニング、地震が起こるところからストーリーが始まってから、最後に至るまで、終始危機的状況が続きます。

普段、テレビで放送される映画をみるときには、間に挟まるCMは邪魔だと思っていますが、ストーリーがあまりにも緊迫していて、見ているこちらも緊張しっぱなし。間のCMでやっと一息つける、という具合で、テレビ放映されている地上波で初めてCMがありがたいと思いました。実際見たのは録画ですが、初めてCMを飛ばさずに見ました。


映画に描かれていた、当時の現場の人々の尽力は、忘れてはなりません。




一度目に鑑賞したときには、現場の鬼気迫る描写に圧倒されただけでしたが、事故のあった10年目の2度目の鑑賞では、少し気になる点もありました。

最後には、現場の人々の奮闘を美談に仕立て、平和裏に終わっている印象を受けてしまいました。

10年経っても、復興は終わっていません。
事故のあった原発の廃炉処理は、計画よりもずっと遅れていて、難航しています。廃炉には、気の遠くなるような年月と労力がかかっています。それは今でも続いています。


バイデン政権になるやいなや、アメリカはパリ協定に復帰。それに従い、日本でも、以前から言われていたCO2の環境負荷がますます叫ばれるようになっています。



「二酸化炭素は悪」だとか、「水素エネルギーはクリーン」だとか。それ、ほんと?

少し考えれば、誤解や、トリックだと中学生でもわかる誤った認識。それが地球規模で当たり前のように蔓延しつつあることが心配です。




とはいえ、私たちの暮らしに電気は必須。それどころか、ますます電力が必要な暮らしへとシフトしています。

ちょっとやそっとの節電では、賄いきれるものではありません。もちろん、節電は意味ない、というわけではないけれど、私たち皆が「となりのトトロ」のような、昭和30年代の暮らしに戻ることは、現実的ではありません。

どのようにCO2を出さずに、発電できるのか?

「いっさいCO2を出さず」に、「効率的に」発電できるのは、原発です。

埋蔵資源の少ない日本では、原発は願ったりかなったりだったわけです。そして、福島原発の事故以来、やっぱり原発はダメだということで、水素による発電が今注目を浴びているというわけですね。

じゃあ、水素による発電は、クリーンなのか、というと、まったくそんなことはないわけです。



水素って、どう作るの?そうそう、中学生の時に、実験しました。電気分解で水素を作るんです。

電気を作るための材料の水素を、電気を用いて分解して作る。

なんという非効率。そして、水素を電気分解するときの電気って、どうやって作るんでしょうね。
水素が新しいエネルギーにとって代わったとして、それに必要な設備更新にかかる投資は莫大です。

発電所はおろか、すべてのインフラを水素に対応しなければいかなくなるかもしれません。
発電所の設備は一新。まだ走れるガソリン車を廃棄して、新しい電気自動車に買い替えます。家計にも大きな負担となるでしょう。


じゃあ、太陽光や風力や地熱、潮力などの自然エネルギーの利用はクリーンなのか、と言われれば、そうとも限りません。

自然エネルギーは供給が不安定ですから、蓄電しておかなければいけません。その大規模な蓄電池、どうやって作るのか、といえば、これも電気を使わずして設備を作るわけにはいかないわけです。

現在ある蓄電池は、水力や火力発電と比べ、耐久性がそれほどないと言われています。蓄電池の材料には、現在有害な重金属なども含まれているため、不要になった設備を廃棄するときも問題が生じます。


結局、クリーンな発電といえば、未熟な自然エネルギーの利用法や、多額の設備投資の必要な水素の利用は非効率的。停電リスクの回避には、さまざまな方法で分散して発電する必要があります。


炭素税とか言っている小泉進次郎サンとか、ガソリン車乗り入れ規制とか言っている百合子サンとか。問題の本質というものを、まったくわかっちゃいない政治家が人気があるのが、本当に不思議すぎる。(しかも、総理候補とか(・_・;)


この、「CO2(見かけ上)出さないゲーム」に、また原発も発電手段の一つとして浮上しているんです。


とはいえ、やっぱり原発はダメ。発電時にCO2出さないけど、絶対ダメ。

私たちは、自然というものをなめてはいけない。そして、人の力を過信してはいけない。


映画「Fukushima 50」を観て、その想いを再確認しました。



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人が、自然を、コントロールすることなんて所詮不可能。
自分自身でさえ、コントロールすることは難しいのに。

代替エネルギーを含む、新しいエネルギーの開拓は不可欠です。でも、いつでも自然に対し、恩恵を受けているという謙虚な態度と、それに対する感謝、そして畏れを忘れないようにしたいものです。




原作は、「新聞という病 」がベストセラーになった、門田隆将さん著。



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Fukushima 50